〜 本島一周の旅 南部編 〜
琉球ガラス村
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朝からお空はどんより ニュースを見ると “大雨洪水警報” 発令中 (´・ω・`)ショボーン この時期、一日中晴れの日に結婚式ができて本当によかった (*´Д`) 通りにはこれでもかっと “今日国際通りに安倍総理がやってくるぞ〜” の赤いポスター 22日に行われる参議院地区補欠選挙戦線 真っ只中 沖縄は自民と民主の激戦区 街頭演説にものすごく力をいれている 18日は管代表の熱弁をまったりと珈琲屋からながめていました (*゚Д゚)センキョノトキダケカヨ
朝8時に母&弟と待合せ 本島一周後半戦 南部をまわります 飲酒運転をするな〜といいつつ、しっかりオリオンビールを宣伝する 居酒屋の垂れ幕 “びっ、微妙〜 ('A`) ”と首をかしげながら、ガラス工場の見学に 琉球ガラス村 へ
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ガラス工場の作業が始まりました〜@9時すこし前 職人制度が確立しているようで、作業は担当制 職人と弟子2人ペアでガラスの形を整えていく 炉から溶けたガラスを棒にとっては膨らまし、気に入らないとすぐに割っては炉に戻す 壊す確率がかな〜り高い (;'A`)'A`)A`)`))モッタイナイ
沖縄らしい引き出物ってやっぱり琉球ガラスか泡盛かなあ 北海道ならカニとかイクラとか高級食材って手があるけれど、沖縄の食材はちょっといまいちだしぃ とうことで、母に手伝ってもらい引き出物をGET〜☆ |
ひめゆりの塔
ひたすら南下していくと、やけに路駐が多いなあ ん?お墓参りしている? 今日は清明(シーミー)祭 家族みんなで先祖の墓参り お盆のような日
陸軍病院(伊原)第三外科壕学徒隊として従軍していたひめゆり学徒隊 沖縄戦末期、米軍のガス弾攻撃を受けたこの壕は、 学徒や陸軍病院関係者80名あまりが尊い命を落とした場所 “いはまくら かたくもあらむ やすらかに ねむれとぞいのる まなびのともは” ひめゆりの塔(慰霊碑)の横にはおおきく地面に口をあけた外科壕跡 その後ろには立派な納骨堂が建てられ、献花をする人が後を絶たない 奥には生存者の手記などを展示したひめゆり平和祈念資料館がある
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地上戦が繰り広げられる戦場に放り出された沖縄住民 銃弾が飛び交う中で過酷な労働を強いられた10代の少女達 生存者の生々しい証言 恐怖 悪臭 飢え 見殺し くるっていく人としての感覚 救いのない地獄 戦争はいけない と軽々しく口にすることは嫌いだけれど “戦争” という外交戦略の最後の選択肢は絶対選ぶべきではない 教科書の上では “時代がそうさせてしまった” と簡単にいえるが、 展示物や写真を目の前にしてその言葉はでてこない どんな大義や目的があろうとも、巻き込まれた人間の悲惨さは言葉でいいつくせない (それが左翼の戦後政策ともとれるが・・・ 日本軍におびえている住民とかねぇ “ガス弾” で大量殺人が行われた現場だぞ ここは!? なぜアメリカ人の殺人罪(非戦闘員・住民殺しは立派な犯罪!)を厳しく言及して 今も続くさっさと無益無駄な戦争をやめろよ といえる展示にしないのだろうか?)
外は車でも身動きがとれないほどの大量の雨 水の重みで傘は役にたたず、背中もズボンも一瞬にしてぐっちょり 。゚('A`゚)゚。 “学徒さんが泣いているのね” と母のべたなコメント 泣きすぎですから 泣きすぎ・・・ 前見えないよぉ |
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玉城城址
本島南部にはまだまだ沖縄特有の家屋が残る 赤瓦で葺いた低い屋根 高い塀 防風木
南部はなんといってもさとうきび畑 どこもかしこも さとうきびっっ ハブには要注意です・・・。 |
玉城(たまぐすく)城 :別名 “アマツヅグスク” と呼ばれる琉球七御嶽のひとつ 琉球開闢(かいびゃく)の祖(創世神)・アマミキヨが築城 英祖王統第四代の玉城王の居城 琉球最古の古城跡といわれる 本島中南部や久高島が見渡せる高台・海岸線・石灰岩の山の中 天然の要害に囲まれ、地理的にも軍事的にも理にかなった城
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だいぶ小雨になってきたので城址の見学 “旦那は行きたくない (#゚Д゚)” と車でお留守番 自分の興味を満たすためには労力を厭わないB型 ← このサンダルで → なところをいく 雨が石灰岩をぬらし滑りやすくて動けんっっ 無謀すぎるぅぅぅ ( ゚∀゚)アハハハハノヽノヽノヽノ \ |
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戦中後、米軍に資材としてもちさられ 今は無残な姿をさらす本丸 |
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城跡本丸門 : 別名 てぃだがあな(太陽の洞)
石灰岩をくりぬいた大きな窓のような入口 城中の方から穴を覗くとゴルフ場と海が見える この形 弥生時代の太陽信仰のシンボル ゴホウラ貝で作られた腕輪の穴によく似ているそうな 夏至の朝には神の島 久高島から昇り、この城門に差込んだ太陽の光が 城内の拝所と玉城王子の墓(ゴルフ場内にある)を一直線に結ぶという神秘的な光景が見られる 琉球の太陽信仰の象徴的存在
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首里城
首里城 :別名 スイグスク 琉球王朝(1429-1879年)国王の住まいとして使用された城 政治、外交、祭祀の中心地であり、 北方に中山王の旧都・浦添、南西に那覇や港を一望できる優れた地勢に建つ軍事拠点でもある 現在、首里城跡は世界遺産に登録されている 残念ながら、幾度も焼失・再建をくりかえし、今も修復中の建物は世界遺産の中には含まれていない
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木造三階建の正殿 ここから先はチケットが必要 1F:下庫理(しちゃぐい) 国王自ら政治や儀式を執り行う場 2F:大庫理(うふぐい) 国王と親族・女官らが儀式を行う場 3F:通気を目的とした屋根裏部屋 |
屋根の上の立派な龍 |
御庭(うなー) 様々な儀式が行われた広場 広場に敷き詰められた磚(せん・敷き瓦)が特徴的 この模様に沿って役人達が↑のように座った 中央の赤い道は国王や国賓以外は通れなかった |
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2000年の沖縄サミットの会場はここ 首里城 森首相がにこやかに映っております (ノ∀`) ナツカシス その時使われたグラスは 琉球ガラス村の職人の手によるもの
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内部見学を終えると、なにやら琉球舞踊の舞台があわただしい@4時少し前 公演時間は “4:00〜4:40”
となっている “せっかくなので舞踊を見ていこう ヽ( ´ー`)ノ”
と母&弟 見たいというからには断る理由もないのでお付き合いする
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演目は琉球舞踊で人気のある “若衆特牛節” “四つ竹” “柳” “高平良万才” “しゅんだう” の5つ ねむひぃぃぃぃ 一生懸命踊っている方たちには申し訳ないのだが非常に眠い
(´д`;) しかも、4時40分で終わるはずの舞台 まだ3つがおわったところ 時間無視かよぉぉぉ ある意味拷問だな 結局終わった時には5時を回っていました (;'A`)'A`)A`)`))
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旧海軍司令部壕
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弟の最後のリクエスト “海軍壕を見学したい”
旧海軍司令部壕 : 熾烈を極めた沖縄戦で “日本海軍沖縄方面根拠地隊司令部” のあった所 鍬やツルハシを使って掘られた人工壕であり、壁にはその苦労の跡が色濃く残る 壕内は迷路のようになっていて、司令官室・作戦室・医務室・発電室などが当時のまま残されている 昭和20年6月13日、司令官大田実少将ほか約4000名の将兵が、ここで壮烈な最期を遂げた
〜 明日内部を見学するので、詳細は明日の日記で 〜
壕の上に建つ海軍戦没者慰霊の塔 大田実中将他約4000柱を合祀している |
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資料館&壕は5時で閉館 ただいま6時少し前 琉球舞踊のせいだな orz そこはふたりともB型 あきらめませんっっ
(`・ω・´) 姿が見えないと思ったら、まったく同じ行動をしている さすが姉弟 (・∀・)
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見つけました〜っっ 。+゜(*´∀`*)。+゜ 本来の出入口
金網の隙間から内部も確認できますっっ
(。+・`ω・´)シャキィーン☆ まさしくジャングルの中の洞穴
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レンタカー返却のタイムリミットは8時 母&弟のフライトが20:40 そろそろ空港に送り届ける時間 これでゲスト全員 無事に沖縄旅行を楽しんでいただくことができました (*´Д`)=з 残り3日 何度目かの新婚旅行 を満喫する予定
今日の宿、初日のところでいいよね・・・ 荷物を降ろして一息つけたのが9時 食事に繰り出す元気もなかったところ スーツケースから取り出したるは、14日消費期限の豚タン |