May 6, 2005
オールドカイロ探検 <コプト教会・ギリシャ正教会・クリプト etc>
再び地下鉄に乗って、Mari Girgis(St. Gorge)駅へ。
コプト教は日曜日を礼拝の日と定めているはずなのに、金曜日も礼拝で人があふれている。Σ(,,゚Д゚)「!」
そのせいか、ライフルをもった警官たちが駅から出てくる人たちの荷物をチェックしている。
エジプト観光地恒例の“外から見るだけ〜”ではなく、すべてのチャックを開けて調べている Σ(゚д゚lll)
観光客はノーチェック ( ´∀`)
人の流れについていくと、修復中のバビロンの塔(イラクにある古代都市バビロンではありません)が目の前に。
オールドカイロはバビロンの要塞跡の上に作られている。
7世紀、イスラム軍がバビロンに篭城していたビザンツ軍を滅ぼし、フスタート(軍営都市)を建設。
「(イスラムに)改宗か貢納か剣か」ビザンツ軍に圧政を強いられていたバビロン市民は大喜び。
イスラムに改宗する人も多かったそうな。
エジプト征服の記念として、フスタートにガーマ・アムルを建立。
カイロ最古のガーマである。(ガーマ・イブン・トゥルーンは現存する最古の建物。)
建立といっても、初期のガーマは日干し煉瓦にシュロの葉で葺かれた小部屋のような建物だったらしい。
フスタートはその500年後、十字軍によって陥落の危機が訪れたとき、自ら火を放って廃墟にして現在に至る。
話をバビロン時代にもどそう。
エジプトのキリスト教発祥の地として建てられたのがアル・ムアッラカ教会(空中教会)。
もう一本あったバビロンの塔の上に建てたことから“空中教会”の名がついた。
別名“Hanging Church”
イスラムのミニアチュールを思い出すような繊細な細工を持つ鉄製のランプがたくさん壁に取り付けられていて、
それでHANGING(つるされた物)。
アル・ムアッラカ教会はコプトの教会で、当然ガーマ・アムルが建つずっと前、4世紀頃の建物。
当時、キリスト教はローマ皇帝の偶像崇拝を拒み、迫害の対象になっていた。
オールドカイロの教会はローマ帝国の迫害から逃れるため、入り組んだ細い路地の目立たないところにひっそりと建てられている。
中に入ると、サンダルウッド と 乳香 が焚かれ、釣り下がった巨大な鉄製シャンデリアからの淡い光でエジプトとは思えない空間ヽ( ´ー`)ノ
むき出しの木組天井と精巧な細工がされている格子の扉がなんとも味があって、ヨーロッパの教会とは一味も二味もちがった感じ。
お祈りをする女性信者は白いスカーフのようなものを頭に巻き、アバヤを着ている人はいない。
教会付属のお土産屋で、小さな木のロザリオ(8LE)となぜかアスワンの本、マリアさまのカードをGET☆
プライスシールが貼ってあって、しかも街中とは大違いの良心的な価格。
イスラムとキリスト教、根っこはまったく同じだったはずなのに、
なんでこうも考え方がかわってきてしまったのだろう(ー'`ー;)
少し駅の方にもどって、ドラゴン退治の逸話残るマリギルギス(聖人ゲオルギウス)を祀っているSt. George教会へ。
教会の外観は、カラフルな布で飾られ、お祭りなのか??ちょっぴり入るのをためらってしまう。
こちらはギリシャ正教会のため、イコンの説明書きはすべてギリシャ文字。
正面から入ったとたん思ったこと。 俗物的・・・⊂⌒~⊃。Д。)⊃
いたるところに安っぽい金が使われ、イコンが壁という壁、柱という柱に掛けられている。
主祭壇の ゲオルギウス は男前。白馬の上から地面に組み伏せたドラゴンに槍でとどめをさしている。
ちょうど、礼拝が行われていて、タンバリンをもつ神父(っていうのかな?)が歌を歌いながら音頭をとっている。
ギリシャ正教の教会だから、コプト教徒とどうちがうのかなあ?
と思いきや、礼拝している人の腕にコプト教徒の刺青il||li(゚ロ゚;) il||li!!??
あれっ?( ゚Д゚)ハァ? どうやら、カトリックとバプティズム、東方教会のようなお互いを牽制するような違いはないらしい。
コプトとギリシャ正教、教義に多少の違いはあるものの、
地元に溶け込んだキリスト教としてどちらも相手を認め、共存している とのこと。
( ´_ゝ`)フーン
ここの礼拝はコプト語(古代エジプト+ギリシャ語)、ギリシャ語、アラビア語、
一体、(σ゚∀゚)σどれでやってるんだろう (σ゚∀゚)σ??
教会の入口のすぐ側にSt. Georgeにまつわる小さな博物館がある。
キリスト教徒たちの拷問に使われたといわれる拷問具やイコンが並んでいる。
拷問具には血糊の演出がされているものもある。
信者たちが涙しながら、ひとつひとつに手を使って口づけをしていく。
お賽銭代わりのお札のようなものがそこらじゅうに散乱し、微妙に神聖な雰囲気が流れない んだよなあ (´д`;)
拷問具もいまいちリアリティに欠けるつくりだし う〜ん(ー'`ー;)
きんきらきんなのが、またねえ (;'A`)'A`)A`)`))
教会というと、厳粛で雰囲気と儀式を大切にするカトリック教会を思い描いてしまうために、その ギャップに驚くばかり
外に出て、階段をおりる。地下道のようになっているところから、オールドカイロの探検をはじめる。
地下道とはいえ、ちゃんと空は見えるけれど、カイロの道路より一段下がった道。中世を思わせる石畳と建物。
パン売りがあちらこちらにいて、地元の人がみんなパンを買っている。
礼拝が終わった後のスナックなのか、せまい通路にいいにおいがあふれるヽ( ´ー`)ノ
路地には、本屋やメダイなどの売り子が商売をしている。なんとも良心的な値段だ。
英語ツアーのガイドさんを発見。後についていくと、アブ・サルガ教会(聖セルギウス教会)に入る。
丁度礼拝が終わったところで、信者たちと入れ替わりで観光。
祭壇を見ると、クリスマスに飾るあの電飾でぴっかぴっか
工エエェェ(´д`)ェェエエ工
まるで、厳粛さがない⊂⌒~⊃。Д。)⊃
祭壇の絵もなんというか、う〜ん、力作ではないんだよね。これが。
座ってガイドさんの話に耳を傾けるも、私も彼も疲労困憊 (´д`;) 途中でうとうと (-.-)zzZ
ガイドさんは、エジプトとキリスト教徒っていうテーマで話をしていました。
旧約聖書の出エジプト記〜
ラムセスIIが各地の巨大建築建設のために、ヘブライ人たちを強制的に過酷な労働にかりだす。
アブシンベル・ルクソールと見てきた遺跡は、奴隷たちの血と汗と涙の結晶なのだ。
ついに我慢ならなくなったヘブライ人は、モーセの導きにより、無事にエジプトを脱出。
エジプトは神に見捨てられた地となった。
聖家族のエジプト逃避行〜
それから1300年、今度は誕生したばかりのイエスにヘロデ王の魔の手がせまる。
キリスト(救世主)の誕生を恐れた王が生まれたばかりの幼児の殺害を命じたのだ。
父ヨセフと母マリアはイエスを抱いて、ベツレヘムからシナイ半島を横断、
エジプトのここ、アブ・サルガ教会の地下洞窟(クリプト)に身を隠して過ごしたらしい。
ガイドさんについて、入口にいってみる。 こういう時、ツアーって便利だよなあ(´∀`)σ)∀`)
ちょっとだけ、うらやましい(´・ω・`)
じめじめした洞窟。入口には柵があり中へは行かれない。
欧米の信者たちの中には感極まって涙を流している人もいた。
また、ツアーの後ろにくっついていく。聖バルバラ教会というらしい。
異教徒から改宗したバルバラを讃えて建てられた教会。
祭壇は、こんどはバルバラの絵の輪郭に沿って、電飾がぴっかぴっか ( ゚д゚)ポカーン
赤 に 緑 に ピンク に 青・・・ かわるがわるに色が変わる orz
どうしても、こんな飾り付けをしてしまうコプト教会を理解することができない ('・c_・` )ウーン
ついに彼がダウン。ツアーから離脱。
座って、少し昼寝をすることにする。コプト教会のサンダルウッドの香りはおだやかな眠りをさそう。
オールドカイロの最後の目玉、ベン・エズラ・シナゴーグ見学へ。
シナゴーグはユダヤの言葉で礼拝所。ここは、ユダヤ教の教会。
モーセが捨てられた泉(というか井戸)がある。
教会の雰囲気としては、アル・ムアッラカ教会に似ているが、扉にはユダヤの六芒星。
エジプトでは、イスラム教が多数を占めたため、コプトもユダヤもギリシャ正教も、
イスラム社会と溶け込み、対立を避け、生き延びてきたのだ。
お互いをつぶしあいながら内戦が絶えないどこかの国々とはちがうなあ (´・ω・`)
カイロで私が一番見たかったもののひとつ、フスタートに行こうとすると・・・
なんと、 道が封鎖 されていて、警官に止められる。
”フスタートを見に行きたいけどこっちであってる?“と訊ねると、
“そっちにいっちゃだめだ。フスタートもだめだ”
工エエェェ(´д`)ェェエエ工 またあ。・゚・(ノД`)・゚・。
ライフルを持った警官にそういわれたら、ひきさがるしかない。
あきらめて、流しタクをつかまえる。
さすがにこのあたりをうろうろしている観光客はめったにいないせいか、観光客慣れしていない。
“ガーマ・アズハルまで”と言うと、“10LEだけど?”
こちらも丁度その金額を払うつもりだったので、乗り込む。
その後、ハンハリーリの裏からタフリールまでタクを使うが、おとなしく5LE札を受取り、ささっ〜と行ってしまった。
一日うんちゃんとけんかしないという素晴しい日でしたヽ( ´ー`)ノ