May 5, 2005

 

 山越えをするぞヽ( ´ー`) <王家の谷〜ハトシェプスト葬祭殿> 

 

 

ラムセスI墓へ戻り、裏手の山道 を登っていく。

山道はかなり険しく、道案内は地面に惹かれたチョークの白い線のみ (゚Д゚,,) 「!」

ぱらぱらと山道をいくトレーラーの姿を見て、だいたいこっちの方向と見当をつけ先へ進まなければならない。

山道の入口ですら、ハトシェプストから歩いてきたトレーラーがいなければ、

本当にここでいいのか (゚Д゚≡゚Д゚)!!??“と先に行くのを躊躇していたにちがいない。

がんがんに照りつける太陽と地面からの照り返しで 体感温度は 50℃ Σ(゚д゚lll) を超える。

汗をかいてもすぐ蒸発して腕は塩でざらざら。

たった一本しかない貴重な水をちびりちびりと飲みながら、もくもくと足を前にだす。

 

上から見下ろす王家の谷は 背筋がすうっとするぐらい絶景ヽ(゚∀゚ )ノヽ( ゚∀゚)

木が一本もない険しい山々に囲まれた峡谷に点々と見える墓の入口。

今回の旅行で見た感動した景色、

アブシンベルの巨大な流れ星ファルーカから見た夕陽 につづく ベスト3( ´∀`)

山越えを強行して本当によかったヽ( ´ー`)

 

ハトシェプストまで、視界をさえぎるものも、目印になるものも何もないので、ひたすら眼下の景色を頼りに道なき道をすすむ。

うっすらと色が変わって 道のように見える ところを選んで歩くが、これまた分岐が多く、分岐のたびに心細くなる。

大分前を歩いていた2人のトレーラーだけが命綱

日射病で 死人も毎年のようにでるという山越え Σ((((,,゚Д゚))))

 

迷ったらかなり危険なのだ ('`;)

 

地元の偽者売りがこのあたりをたむろしていることで有名なところだが、この暑さで だあれもいない⊂⌒~⊃。Д。)⊃

この山道で見かけた人影は、王家の谷で道を教えてくれた2人と前を歩いていた2人と後ろについてきた2人。

30分ほど行くと、ハトシェプスト葬祭殿 がでで〜んと足元に広がる。

上から見ると、ハトシェプストだけでなく、地滑りと地震で廃墟と化してしまったトトメスIII葬祭殿跡も見渡せる。

 

細かい砂利ですべる足元をゆっくり降りていくとハトシェプストの第一テラスに出る。

が、チケット売場はずうううっと駐車場の方に戻った入口のところにある。

 

あまりに理不尽すぎる 。・゚・(ノД`)・゚・。

 

チケット売場とハトシェプストを巡回するシャトルトレインをつかまえ、500m以上離れた入口に行ってとんぼ返り。

山越えで体力の80%以上を消耗した せいか、とてもばりばり観光する気がおきない (´・ωヾ)

王家の谷で会った日本人チャリンカー2人も丁度見学に来ていた。

この2人も炎天下の中、相当体力を消耗していて、ぐってり座り込んで休んでいた。

 

ハトシェプスト葬祭殿は、3つのテラスで構成され、第2テラスのレリーフが有名。

北壁のハトシェプスト女王の誕生から戴冠までが書かれた「誕生のレリーフ」、南壁はプント遠征と交易活動。

文字はほとんどなく、絵でハトシェプストの業績を、見るものに伝える。

 

ただ、このハトシェプストおばさん、トトメスIIIを幽閉してまで王位を簒奪したものだから、

死後、トトメスIIIの憎悪の炎によって、レリーフの女王の顔は剥ぎ取られ、カルトゥーシュも削り取られるという有様。

女王の名を歴史上から抹消すべく、となりに自分の葬祭殿を女王の葬祭殿を覆い隠すように建設したが、

自然のいたずらか、神のお咎めか、トトメスIII葬祭殿はもろくも崩れ去り、現在に至る。

 

2テラスでレリーフを見た覚えはあるのだが、レリーフがところどころ剥ぎ取られて状態がよくなかったこと以外、

 

さっぱり思い出せない(´Д⊂ (ちなみにここのレリーフは複製。本物はカイロ考古学美術館)

 

覚えているのは観光客が番人にターバンを巻かれ、バクシーシ をたかられているところだけ。

礼拝堂、列柱室は立ち入り禁止。

 

ここは、1997年11月17日 にイスラム過激組織により、日本人10人を含む65人が亡くなった場所。

心から犠牲になった方々のご冥福をお祈りするとともに、

一日も早く、エジプトが、無差別テロのおきない社会になりますように・・・