May 5, 2005

 

 昨日の少年を見て再び思う 

 

 

ハトシェプスト見学(!?・・・とりあえず見た)を終え、古代の遺跡はもう満足 ω)

 

食あたり状態 (;・)

 

もう一歩も歩きたくないので、ハトシェプスト駐車場にたむろしていたセルビス型タクシーと、

例のごとく交渉すると、むちゃくちゃふっかけられる。

2人で50pt以上はびた一文ださねえ〜()”と啖呵をきったら、

おとといきやがれ〜ヽ(#゚Д゚)ノ”と逃げられた。

腹が立ったので、1km先の幹線道路まで歩いて、公共セルビスをつかまえる。やっぱりセルビスは便利だ。

 

フェリーに乗ると、昨日ティッシュを買った少年が、また今日もティッシュを売っていた。

昨日とまったく同じ格好。着たきりのTシャツ、ぼろぼろの短パン、はだし。

こんな小さな子が毎日こんなことをしなければならないのかと思うと、あまりに気の毒で涙が出る。

 

おじいさんの物売りもいた。

ぼろぼろのガラベーヤを身にまとい、カラフルなクルアーン冊子(=コーラン・イスラムの聖典)を売っているようだ。

おじいさんはクルアーンという売り物柄、私たちには売り込みに来ない。

まわりの乗客の様子を観察する(,,Д)

地元民はいたって、冷たい( д) 無視を決め込む。

毎日、物売りにつきまとわれたら当然の反応といえば当然なのかもしれないけれど。

おじいさんがなにやら乗客を罵倒している場面もあった。

 

純粋にそのクルアーンが欲しかった私は、おじいさんの袖をひっぱり、1LEを渡す。

おじいさんの曇っていた表情が一転して、

あなたはいい人だ。アッラーのご加護がありますように・・・(想像だけどアッラーだけは聞き取れた)”と、

何度も何度も頭をさげられた。

イスラムの喜捨の教えはこういう人たちを救済するために生まれたんだろう。

 

こんなやりとりをみていた男の子は、“ティッシュを買ってくれ(・∀・)”と私のところを動かない。

昨日買ったから、まだあるよ”とバッグからティッシュを取り出して見せるも、“もう一個買って”とせがまれる。

自分が何かが欲しいわけじゃない。

ただ、生きる為に物売りをしている少年があまりに痛ましい。

 

男の子はここぞとばかりに、自分の知っている英語を披露。“学校に行っている”と言っていたが、どう見ても行けるわけがない。

まわりの乗客も私と男の子のやり取りを横目でちらちら見ている。

こちらが目を合わせようとすると、ささっと顔をそむけるあたり、もやもやっとした思いがあることが伝わってくる。

 

がんばって特技を見せてくれたので、50ptでティッシュを買う。日本円でたったの9

これを稼ぐ為に自分の将来をも考えることが許されない。

エジプト社会の問題の深さを思い知らせてくれたこの男の子に感謝しつつも、援助とか募金のあり方というものを考えさせられた。