May 4, 2005

 

 カルナック神殿 

 

 

フェリー乗場からカルナック神殿の方角に歩きつつ、セルビスをつかまえようと川沿いを歩く。

一歩でも歩くのが嫌 (゚听) というほど、へろへろな状態なのに、

こういうときに限って、一向にカルナック方面へ向かうセルビスが通らない (´Д⊂

後で知ったことは、川沿いを通るセルビスはないということ。

 

4時をまわっていたが、日はまだ高い。

川沿いはタクシー・ファルーカおやじ・馬車おやじが、鴨を狙うかのような目で積極的にセクシーアピールをしてくる。

が、相手にするほど元気もなかったので、目も合わせず、さっさと通り過ぎる。

値段を交渉するにはそれなりの気力と体力がいるのだ。

交渉せずに、相手の言い値で楽〜っに連れて行ってもらうというのは、邪道なので、自分の足で前へ進む。

たかだか3km されど3km。

地図で位置を確認すると、市街の方へ食い込みながら東へ行かなければならないようだ。

川沿いから道を一本市街にはいると、セルビスがこれでもかと走っている

 

今までの苦労は一体なんだったんだろう ・゚・(ノД`)・゚・。

 

がっくりと落ち込むが、とりあえずしびれた足をすこしでも休めるためにセルビスに乗り込む。

 

1kmほど進んだ頃、目の前にどどど〜んとでっかい塔門が見えてくる。

門の左側が最後までつみあがっていない、中途半端な門構え。

そして、門まで続く、頭が羊、体がライオンのかわいいスフィンクスたちがお出迎えしてくれるスフィンクス街道。

まずはお約束( ´∀`) スフィンクスに跨るw 

あんまり大胆にやると番人達が飛んでくるので、こそっと 古代の遺物の上で征服感 ヽ( ´`)

 

カルナック神殿はばかでかい Σ(゚д゚lll)

 

しかも、今見ているのは複合施設であるカルナック神殿の一部、アメン神殿。

上にも横にも、とにかくスケールがちがう。

列柱室 に行くと、夕陽が差し込んできてなんだか幻想的な雰囲気。柱の数は134本。柱が林のように建っているだけの部屋。

一部の柱はカラフルに着色。

わびさびを愛する日本人には、到底理解のできない どぎつい色ボケの空間ヽ( ゚∀゚)であったことであろう。

 

ガイドブックを見ながら、ここは誰が建てた神殿とかを確認しながら奥へと進むが、

なにせでかいため、まったく全体像がつかめない orz

探検をした記憶はあるのだが、何を見たかというと壁、転がっている瓦礫の山、柱、壊れた像、でっかい池。

ここの番人はとくにちょっかいは出してこなかったため、戦いもなし。

そういえば、列柱室で柱座に腰掛けていると、(↑写真の彼が立っている所)飛んできて怒られました。

座っちゃいけない、立っちゃいけないらしいです。ごめんなさいm(_ _)m

 

カルナック神殿を楽しく回るには、しっかりとした勉強をして、一日かけてじっくりみるというぞ〜という気合がいる。

たかだか2時間程度の滞在&体力は限界状態ではとても見学したとは到底言えない。

なにせ 2000年分の凝縮された歴史のエキス(・∀・)がつまっているのだからw

 

 

ー`)y─┛~~ちょっぴり歴史的背景をお勉強 ♪カルナック神殿の簡単な解説♪

 

紀元前21世紀頃のエジプト混乱期、土着信仰であったラー信仰と対抗するため、

地方のいち軍神であった メンチュ神 をテーベの最高神として格上げ、讃えるために作られた神殿が、カルナック神殿の土台。

しかし、新しい王朝が始まった時、新しいシンボルとして アメン神 があらたに格上げされ、メンチュ神の座は奪われてしまった。

アメン神は太陽神ラーと結合し、その妻ムトと共にこの地に祭られることになる。

エジプトの神さまは、時の権力者が政に利用するために結構簡単に製造・格上げ・合体されている。

キリスト教やイスラム教のように神さまありきでなく、神さまは新しく作れるものだったらしい。

日本の八百万の神に考え方が非常によく似ている。

中王国時代、ファラオたちはピラミッド建設への関心の方が高く、アメン・ラー神殿はあまり重要ではなかったようだ。

カルナック神殿も、大規模な増築はされず、ひっそりとたたずむ一神殿だった。

 

そして、迎えた新王国18王朝。

ようやくヒクソスを追っ払って、エジプト人による統治を奪いかえしたトトメスI

国内の混乱を治めるためにアメン・ラー神を利用することを思いつく。

遠隔地でのピラミッド建設もやめ、西岸に王墓と葬祭殿を建設する。

東岸にアメン神殿・西岸に王墓と、テーベを繁栄の地とするお膳立てがそろった。

新王国時代のファラオたちは“アメン神の加護を得る”ため、こぞってカルナック神殿への寄贈をはじめる。

トトメスIII・アメンホテプIIIと有能なファラオを抱き、エジプトは著しい経済成長をするとともに、

カルナック神殿への寄贈も増大、アメン神官たちの権力は日に日に強大になる。

神官たちの政治への口出しに嫌気がさしたアメンホテプIV(アクエンアテン)は、宗教改革によりアメン神官たちを排除しようとする。

改革は失敗に終わったが、アメン神官たちの権力を削ぐことには成功した。

19王朝・セティIの大列柱室、ラムセスIIの自らの巨像とスフィンクス参道、20王朝・ラムセスIIIの神殿など、

カルナック神殿には莫大な寄贈がおこなわれ、絶頂期を迎える。

 

その後、ヌビアからの侵攻、度重なる内乱、アッシリア軍による破壊・略奪にみわまれ、カルナック神殿の力は衰退していく。

政治的、経済的に復興もままならなかった上に、プトレマイオス朝はセラピス神を信仰していたため、

アメン・ラー神は見捨てられた存在になってしまった。

最後に行われたカルナック神殿への寄贈は紀元前2世紀。カルナック神殿は、2000年にわたって増改築が行われたのである。