May 1, 2005  Discussion

 

 ピラミッドお話 

 

 

ピラミッドはなぜ建設されたのか?

 

ピラミッドは墓として建設されたという説は、2500年以上も後の歴史家、ヘロドトスが“古老から聞いた伝説”が根拠。

権力誇示、死者の神殿(ピラミッド(メル)=昇天の場は死者のためのなんらかの儀式的建物)、失業者の雇用。

どれも当てはまると思うが、マスタバからの移行期の建造物がないことを考えると、

いきなりこんなにでっかいものを建てようと思ったのはなぜか?

ピラミッドの目的が記された古代エジプトの記述はなく、謎は深まるばかり。。。

 

ピラミッドを考えるとき、カイロを基点にして考えてはいけない。このころの生者の街はメンフィスである。

 

はじめにでかい建造物を作ろうと考えたのは、 3王朝のジョゼル王

メンフィスの北西、アブシールに階段ピラミッドの試作を行った後、メンフィスにほど近い、サッカーラに 階段ピラミッド を建設。

マスタバを巨大化しよう という計画だったので、階段ピラミッドは 墓として使われていた らしい。

巨大建造物、王墓としてのピラミッド の登場である。

 

その後、歴代の王はなんとかこの階段状から正四角錐の形にしようと試みる。

ジョゼル王から4人目、4王朝のスネフェル王がメイドゥームに初の真正ピラミッドを完成させる。

このスネフェル、5基 Σ(゚д゚lll) もピラミッドを建設している(メイドゥーム・ ダフシュール 2基、アブロシュ・サイラ)為、

当初の墓として建設されていたピラミッドの 利用目的があやしくなってくる

はじめて、真正ピラミッドを完成させてうれしかったのかなあ?

もっときれいなもの、もっとでかいものをつくるぞって、歯止めがきかなかったのでは!?

何に使うかという目的よりも、巨大建造物を建設すること自体に意味があったのかも!?

内部に装飾がない理由もこれなら説明がつく。

 

そして、息子のクフから3代にわたって、ギザに もっと巨大なピラミッドを完成 させるのである。

メンカウラーの死後、巨大建造物は姿を消す。

財政難というのが有力な説である。

5王朝はアブシールとサッカーラに、6王朝はサッカーラにピラミッドを残すが、どれも小さいものである。

やがて、混乱期をむかえると、ピラミッド建設どころではなくなってしまった。

 

600年の時を経て、中王国時代になると、ピラミッド建設が復活する。

しかし、混乱期の後ということで、ファラオに古王国ほどの権力・財力はなく、どのピラミッドも小ぶり。

残念ながら、古代の技術は継承されず、ほとんど崩れてしまっている。

アメネムハトIIIの黒のピラミッド(ダフシュール)は、この時代のものである。例外にもれず、崩れている。

 

再び混乱期をむかえ、ピラミッドは 以後建設されることはなくなった。

 

話をまとめると、自らの墓を巨大化しようと突然ジョゼル王が決心する。有能なインホテフ宰相がこの夢を実現してしまう。

中途半端な大きさを作らずとも、いきなり巨大なものを作れる頭脳をインホテフが持っていたと私は想像している。

ダ・ヴィンチやアインシュタインみたいな稀代の天才だったに違いない。

 

息子たちはこの巨大建造物を権力の象徴ととらえ、より美しく、より巨大なピラミッドを、

金に糸目をつけず、権力にものをいわせて造り始める。

崩れピラミッド、屈折ピラミッド、赤のピラミッドと試行錯誤した経緯を残すスネフェルのピラミッドを見ると、

地上に巨大建造物を作ること自体がピラミッドの目的となったのでは!?と考えている。

内部になぜ部屋が作られたかなど、説明のつかない謎は残るが、

これが、少ない情報の中から導き出した私なりの答え。(なので 真偽は不明。)

 

調査隊の新しい発見を心待ちにしている。

 

 

それでは、もうひとつの疑問、 ミイラはピラミッド建設時代作られていたのか?

 

紀元前3000年以前、ミイラは自然製造だったらしい。

砂漠に穴を掘って、死体を入れ盛砂をする埋葬。砂漠地帯では遺体は自然とミイラになったとのこと。

なるほど、と一瞬思ったが、5000年も前からここが砂漠地帯だったという前提があってのこと。

食物が実らない砂漠地帯に文明が起こるとは考えにくい。

ナイルが氾濫すると肥沃な大地になったって、矛盾してる。。。

おまけに、砂漠に放置するだけで自然に確実にミイラが完成するのならば、

新王国時代に確立されるミイラの保存技術は生まれなかっただろう。

 

ただ、庶民のミイラは発見されていることから、土壌の湿度はともあれ、

特別に手を加えなくても、ミイラが出来上がっていたみたいである。

(もっともレンガが天日で造られていたので、空気が乾燥していたことは間違いない。)

 

ピラミッド建設時代、霊魂は永遠で、死後また肉体に霊魂がもどって復活するという土着信仰から、

人工的に遺体の腐敗を防ぐため死体をミイラにしていたと考えられるらしい。

確かに、クフ王のピラミッドにつながるといわれている オシリスの墓 が発見されたこと、

ファラオが自らを“太陽神ラーの息子”として名前にラーをつけていたことから、

この地域で少なくともこの 2神への信仰 はあったと考えられる。

ウナス王のピラミッド以降のピラミッドテキストに、ファラオの復活再生のための呪文、神への賛辞が書かれていることから、

復活信仰 があったとも考えられる。

 

大事なのは、ミイラが意図的に作られていたもの なのか、かってに出来上がってしまったもの なのかである。

オシリス信仰・復活信仰があったから、ミイラを人工的に作っていたはずだでは納得がいかないのである。

 

実際、この時代の王や貴族のミイラは発見されていない。

メンカウラー・階段ピラミッド・赤のピラミッドでミイラの断片らしきものが発見されたが、

すべて年代的に新しいものと考えられ、決定的な証拠ではありません。。。

 

これって、後世の人が古代の遺跡に死体を運び込んだってことですよね!? 

 

・・・想像したくない・・・(´・ωヾ) 

 

(ミイラの移動はルクソールのロイヤル・カシェ、アメンホテプ・カシェを例にとっても分かるように、

実際に行われていたのはまぎれもない事実・・・ でも・・・ グロすぎる・・・orz)

 

ピラミッドのミイラは盗掘されたという説が一般的だが、ダイナマイトで穴をこじあけなければ発見できない部屋や、

未盗掘といわれるピラミッドやマスタバにすらミイラがないのはどうもすんなりこない。

 

私の今のところの結論は、この時代、自然任せで、意図的にミイラとして死体を残すことはできなかった。(技術がなかった??)

偶然ミイラ化するのは、地面に埋葬された遺体で、身分の高い遺体は大事に扱われたせい(石棺の中に安置されたなど)か、

ミイラ化することがなく風化してしまったということで、どうでしょう??